山小屋"ダルセーニョ"の滞在日誌

このページ゜は小生のホームページが開通してからダルセーニョの滞在状況を気ままに記載したものです。
記載は最近のものからとなっていますので巻末になるほど過去のものとなります


2000年春を迎えて
2000年5月のGW

今年は積雪が例年になく多く向かいのスキー場はまだ雪がいっぱい。リフトは運転していないがまだスキーが充分にできる環境である。
 そのために花の開花が遅い。例年、桜と水仙はGWが見頃であるが本年は6日ころ咲き始まった。

塗装工事の実施
 この7月で満6年を"ダルセーニョ"の外壁塗装工事を実施した。もともと杉板材にオイルステインを塗ったもののため6年の風雪と日差しで表面の劣化がひどい。今回は裏側(東側)を除く南、西、北の3面を実施。最大高さ6メートルを足場を組まず梯子一本で実施。作業手順はまず市販のタワシで表面の汚れを落とす。実はこれがたいへんな作業で飛び散る埃と、梯子からだと力の入らない部分もありナンギナンギ。その後ボロシートで養生の後幅6Cmの筋違いハケで上面から塗装一部届かない部分はハケに棒をつないで作業。塗料はキシラデコール(タケダ薬品)105この塗料はオイルステインより相当高額であるが、性能は優れているとのこと。本作業では新婚ホヤホヤの斉藤ご夫妻が活躍した。また翌日は新井君と小平君が頑張って完成した。工事費用は塗料(3.4リッター2缶)・ハケ2本・マスキングテープ若干で約2万円程度ですんだ。

5月5日サエラリゾートへゴルフに行く
 兄貴とその仲間が来訪。若い衆に塗装工事をまかせてサッサとゴルフ場へ。車で15分程の山岳コースだが海抜1,100mクラブハウスからのコースは綺麗な池のほとりに白樺の木を配し、抜群の景観。 確か4〜5年前にopenしたこのコースあまり人が来ないので空いててなかなかいい。噂によるとまだ工事費を払わずに最近倒産必死とのこと。連休というのに前日の予約でもプレーはOK。 おまけに人影殆どなし。食堂と風呂が使えないとかで昼飯も弁当と缶ビールだけ。18ホール回って10,000円でおつりがきた。 スコア?まあまあよ。

2000年の正月

心配した2000年問題は結局何事もなく新年を迎えた。ともあれ何もなかったことは結構なことだ。正月の暇を利用して山小屋"ダルセーニョ"の5年間のデータをまとめてみた。

・・・・・・・・・山小屋"ダルセーニョ"のオープン平成6年7月・・・・・・・・・・・・・

 期      間 来所団体数 利用人員 利用日数 使用電力(Kwh) 備     考
平成 6/7〜7/6 30 130 85 2,450
同 7/7〜8/6 31 177 92 3,104 福岡赴任
同  8/7〜9/6 22 151 65 2,775 福岡赴任
同 9/7〜10/6 23 125 75 2,607 福岡赴任
同 10/7〜11/6 24 200 89 3,139
 5年間合計 130 783 406 14,075
 1ケ月平均 2.2 13 6.7 234.6

 利用者の平均宿泊数1.9日位ですから5年間の利用者延べ人数は1,500人日になります。 また、主たるレピート利用団体はトゥモローランド共和国きのこパーティー、同スキー合宿・卓球同好会・マンモスラリラリーズ・モーニングベアーズ・音楽部合宿・野球部合宿・ゴルフ同好会コンペ・麻雀研究会等であります。

1999年12月29日(水)
 朝6時30分に平塚の自宅を出発、129号相模原経由16号で入間から圏央・関越で何と3時間ジャストで到着。ビックリ。例年になく雪が多くスキー場はほぼ全面滑走可能で最近は珍しい。その割にスキー客は少なく、見えるスキー場はガラガラ周辺の宿はどこも空き部屋の様子。これも2000年対応のせいらしい。ダルセーニョ周辺は積雪30センチで雪掻き2時間。だが、意外に暖かく雪は重い。

1999年の年末
世は正にレニアムブーム一色それと、Y2Kの2000年対応問題で世界的な話題沸騰のとき。当ダルセーニョの年末年始は珍しく来客なしでカミさんと二人だけの年越しとなる。ダルセーニョの2000年対応策は次のとおり。

  尚、世間で騒いでいる水はもともと天然水のため、このダルセーニョではキープ不要。それに今回はモバイルを装備したパソコンを持参しmailのアクセスを可能とした。


1998年4月30日
毎年このゴールデンウイークは山小屋生活である。過去においてはベランダを作ったり、物置をつくったりと忙しかったが、今年はのんびりと過ごす予定であった。今年は季節の進みが早くて水仙もすでに終わり、すずらん水仙が見頃、例年より十日位早い感じである。尾瀬名物の水芭蕉は大清水では見頃であったが片品群落地ではほぼ終わりの感じで残念。今回は兄貴といとこの伸爾さんが来訪し、アルコールの消費量の増大。伸爾さんの焼酎好きに驚き。
焼酎といえば九州は焼酎のメッカ。 九州在住のメリットを活かして各地であさっている。現在ダルセーニョの焼酎キープは100アイテム有り。鹿児島の芋、大分の麦、熊本の米、長崎の蕎麦その他諸々あり。有名銘柄も森伊蔵、百年の孤独、伊佐美、野兎の走り等各種取り揃えてある。 お好きのかたは是非おいでのうえご賞味ください。 

1998年3月29日(日) 
周辺の雪はすっかり消えているので例の栴檀と黄櫨を検証した。すっかり葉を落とした樹木は70センチに成長しているものの幹は1センチ程とか弱くおまけに幹上部20センチ程枯れかかっており、はなはだ心細く、春の芽吹きが心配である。祈るのみ...夜はヨッチャンの天麩羅に舌鼓みgood。

1998年3月28日(土)
後藤家ファミリー会として開催。参加者は和枝、マーボー夫妻、徹さん夫妻とそのガキ2名の総員8名。
今年は例年に無く雪が少ない。残り少ない雪でスキーをするのは骨折や捻挫をしやすく危険である。折角来たのだからと徹さん一家は岩鞍に出掛けた。マーボー夫妻は丸沼に出掛けるも不満タラタラ ......わてらは専らピアノのお稽古。飲みながら.......徹さんの悪ガキがロフト(中二階)の垂直 階段から落下 する事故あり。実はこの階段、設計段階ではそれ程高くなかったのだが建築屋が「屋根が低いのはカッコ悪い」ということで高くしたため、必然的にロフトが高くなったものである。実際の登り降り時は若干の恐怖感があり十分注意するので現在まで落下事故は1件のみであった。ちなみに怪我等の被害はまだ出ていない。尚、落下経験者は添付の指定用紙に落下記録を記入が義務付けられている。

一昨年の春に種を蒔き、昨年の夏に路地植えした南国の樹木"栴檀"と"黄櫨 "の状況
栴檀( せんだん )は温暖な地域の海岸や河川の周辺に生育する落葉樹で初夏に藤色のあわい花をつける。秋に落葉してもパチンコ玉程度の実がなったまま冬を越す。これが極めて美しい。黄櫨(はぜ) はやはり温暖な地域の平地や山に生育する落葉樹で花は綺麗でないが紅葉が美しく、期間が長い、九州地区はもみじが少ないため山の紅葉の主役としてしばしばみうけられる。ウルシと同様にさわるとかぶれを起こすことからあまり歓迎されない一面を持っている。種子は栴檀は鹿児島の指宿で、黄櫨は熊本で自ら採取し、発芽後1年間は平塚で育てた。この樹が寒冷のこの地で生育するか?また、結実までに何年かかるか、誠に楽しみであり以後定期的にウオッチしていくが現在は栴檀が80センチメートル黄櫨が50センチメートルに成長している。

1998年2月6日(金) 〜 9日( 月) 九州からギャル二人を連れてスキーに !

注:1995年(平成7年)7月から1998年(平成10年)7月までの3年間は仕事の都合で福岡に単身赴任していた。

1998年2月9日(月)
 朝起きるとものすごい雪。一晩で約50センチの降雪。九州ギャルは雪掻にファイト、ファイト!あまりの雪に意気消沈、昨日の疲れも来ており、結局スキーはやめて雪ダルマ造りに専念、早めに帰途へ。飛行機の予約時間まで今、話題のお台場を散策したが月曜日は休館でフジテレビに入れず。7時に機上の人楽しい3日間でした。

1998年2月8日(日)
昨日同様に山へ、ところが午後3時を過ぎた頃猛烈な吹雪に3メートル先の視界がきかず。時折吹く突風にたまらず下山。一路温泉へ! 当山小屋ダルセーニョと契約の温泉をご紹介します。山小屋に取りつく登り口周辺の集落(地名は土出という)にはあまり温度は高くないけれども温泉が出ています。中でも、千代田館なる旅館は有名でテレビの番組にも紹介された。 当ダルセーニョの契約温泉は「みよしの旅館」通称”釈迦の湯”。ここの温泉は温度が高くまた24時間いつでも入れるのが魅力。この他にも豊富にある温泉はダルセーニョのチラシを参照して下さい。

1998年2月7日(土)
8時起床朝食の後岩鞍のゲレンデへ直行。一日券4,500円は2年据え置きだ。雪質、天候も申し分ないがやはり温かい。九州ギャルはベタ雪に慣れている?ので岩鞍のサラサラ雪にすっかり感激のご様子。「すごく上手くなった」との弁。「そう感じるのよ。雪が軽いとネ、」

1998年2月6日(金)
夕刻5時半、早々に仕事を切り上げてタクシーで福岡空港に直行。メシを喰って7時半には機上の人。羽田でかみさんの出迎えを受けて一路目的地へ首都高・外環・関越と快適に走る新車の4WD。例年に比べスキーの車が少ない、これも不景気のせいか? 道路の雪も全く無く目的地に到着 山小屋の取り付け道路でやっと雪の上を走り、スタッドレスの効果を発揮。焼肉を喰って2時に就寝。

1998年1月 3日(土)
仲間の杉山氏がテーブル式 の囲炉裏を持ってきた。周囲に8人が座る程度のビックサイズだ。檜造りで炭火焚きができるこのセットは中々の優れもので今後ここのシンボルになりそう。ただ、使用にあたっては火災と一酸化炭素の中毒に注意 することと、炭の価格が結構高いので財布と相談して使用すること。

1998年1月 2日(金)
相変わらず温かい日並が続いている。 朝、少し降ったもののすぐに溶ける都会の雪と同じだ。本日は大嶋氏が夫妻で来所、来るなり持参した最新鋭のパン焼機を駆使して焼きたてのパンを食す。味はGOOD特に耳の部分がカリカリとした歯ごたえ十分で旨い。全自動で手間なしがうれしい。かみさん同志は伊達巻きと豆の煮物に余念がない。これもなかなの味であった。

1998年1月 1日(木)
例年実施している大晦日の花火大会が今年は中止 となった。 理由は雪が不足のため防火上の心配とのことの様だ。そう言えば一昨年の大晦日にこの集落で大切にしていた社が火災で全焼した。この地域では元旦を待って、社を訪れ五穀豊穣を祈願して米を撒き、お灯明を捧げる習慣があるが、この蝋燭から引火して真夜中に社を全焼せしめた。ちなみにこの社の再建は地域の住人の総意と寄付により、昨年の秋に竣工し、我が"ダルセーニョ"の名も末尾ではあるが掲載されている。

1997年12月 31日(水)
朝起きると一面の銀世界、でも温かく、午後には雪も止み すっかりと溶けてしまった。天気図の気圧 配置が冬型でないため、今後も降らん だろう。

1997年12月 30日(火)
人口降雪機のスキー場へは行く気 もなし。水道の貯水タンクの点検異常なし。二次側 吐き出し口コックの凍結防止用の保温作業実施。このコックは露出しているため凍結しやすく、特に雪に覆われていない今の時期が凍結しやすい。

1997年12月 29日(月)
毎年正月はここで迎えることとして3年目である。今年はなにか変 だと思っていたら山にも雪がなく温かいのだ、従ってスキーヤーも少なく道路がガラガラで、すんなりと来てしまった。
かみさんと二人で温泉三昧と、ひたすらピアノのお稽古に励む。


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Akimitsu Goto / 後藤 昭光 akimitsu@gotou.to